大窪寺からJR線志度駅まで再びコミュニティバスの厄介になり(50kmほどあるが、これもバス代は200円)、駅前でそれまで食べ損なっていた讃岐ウドンをかき込み(“ケツネ”の甘さが印象に残った)、特急“うずしお”で徳島に出て(2,100円)、春に遍路行を始めた際に厄介になった居酒屋と同系列のホテルAに泊まった(素泊まり5,500円)。歩行実績は12,000歩8km。
翌12月2日(火)は、JR線で板東駅に出て(210円)第1番霊山寺にお礼参りに行き、同寺前からバスで鳴門に出て(430円)、さらに大阪行きの高速バスに乗り継ぎ(3,100円)、梅田のビジネスホテルに投宿(素泊まり7,000円)。春の出発時に付き合ってもらった大阪で寺の住職をしている友人とささやかな満願祝いをした。
12月3日(水)は、早朝着の夜行バスで東京からやって来たヨメハンと合流し、地下鉄(梅田・難波230円)、南海高野線(難波・高野山1,990円)、バス(400円)と乗り継ぎ、金剛峯寺奥の院の弘法大師御廟に満願の報告とお礼を申し上げ、飛び込みで予約した阿弥陀仏を本尊とする宿坊に泊まった(有名な高野豆腐をはじめとする精進料理の二食付きで12,000円)。翌朝6時から始まった勤行は、実に荘重な雰囲気の中にも心休まるものがあったと、後でヨメハンが感動していた。できればまた訪ねたいところである。その後、関西には久方ぶりに来たヨメハンと奈良の寺や博物館をめぐり、帰宅した次第。
四国巡拝を終え、改めて初夏と晩秋の二回に分けて書いた遍路紀行をめくってみると、前半の張り切りように比べ足を痛めた後半の情けなさが際立つが、総じて天候にも恵まれ大過なく高野山のお礼参りまで参拝し通せたことは、神仏のご加護ならびに家人や友人のご支援の賜物である。高野山奥の院を含め延べ日数24日、歩行距離も途切れ途切れながら約350kmを超え、グウタラで貧脚の私にしてはよく歩いた。行く先々で初対面の人でも気楽に話のできる四国という土地柄に人情の原点を感じ、いくつかの不思議な出来事にも遭遇した。先祖供養にもなり、はるばる行って良かったと思う。
死ぬまでに一度はと願っていた“お四国さん参り”を達成でき思い残すことが一つ減った半面、これからは何を生甲斐にすれば良いのかという新たな問題が生じた。今の高齢化社会ではまだ“ほんの若造”と定義される年代とはいえ、目標を見失えばあっという間に老化が深まるだろう。やがて手足が不自由になり、あるいは病気にかかり、運悪く連れ合いに先立たれ一人暮らしとなった場合など、死後しばらくしてミイラとなって発見されることもあり得る。希望としては家族に看取られ、ある日突然ポックリ行く形で寿命を全うしたいが、人生なかなか自分の思う通りには運ぶまい。せめて身体が動く間は、新たな“目標”を設定し、残り火をかきたてるしかない。
折しも、これもまた何の因縁か、かつて在宅の仕事を生業としていた当時に世話になった外資系証券会社の破たんを契機とする世界的な金融危機が世界を吹き荒れ、遊興費の源泉であるわずかな持ち株が反古一歩手前の状況となり、現時点の私は極度の手元不如意に見舞われている。しばらくは痛めた足の養生につとめ、再起をはかれとの天の啓示だろう。今後は仏のみならず日本古来の神々にまで視線を広げ、寺ばかりではなく、出雲大社や伊勢神宮など神社を巡り歩くことを新たな目標として、とにかく種火だけは消さないよう、当面は地味に生きていくことにしたい。
南無大師遍照金剛
















