12月1日(月)快晴
前日、思いもかけない車の御接待を受けたお陰で、奇しくも師走の初日に四国巡拝の満願を迎えられることになった。感謝の一言である。
まだ朝も明けきらないうちから、これも思いがけなくホテルのまん前に位置していた琴電の築港駅から屋島駅に向かう電車に乗った(310円)。空が明るみを増すにつれ、雲一つない日本晴れの空が広がり、こんなグウタラな私の遍路行がいかに天気に恵まれたか、今さらながら有難いと思った。前日の“遍路転がし”はやはり私の足にそれなりのダメージを与えており、屋島駅からはタクシーで山上に行き(2,000円)、参拝した。この寺は鎌倉時代建立の本堂をはじめ、やや小ぶりながら堂々たる構えである。境内に集まっていた近所のオジサンたちに話しかけ、屋島合戦の場所を聞いたところ、ボランティアのガイドをしている私と同じくらいの年輩の男性が、前日参拝した八栗寺のあたりを見渡せる崖のふちまで連れて行き、いろいろ説明してくれた。はるか下方には合戦の行われた細長い入り江(ここも“壇ノ浦”というそうだ)が横たわっている。阿波の小松島に上陸(というよりは漂着)した百に満たない義経軍が、ここまで進軍する途中でかり集めた軍勢はおそらく千騎ほどの小勢だったらしいが、“ひよどり越え”とおなじ奇襲作戦で、平家をその滅亡に至る敗走へと追い詰めたところだ。那須与一が扇を射落とした場面などが有名だが、ボランティア氏によると、最近の人たちは屋島合戦などにはあまり興味を示さず(そうした知識もなく)、いきおい屋島を訪れる観光客も減少の一途をたどっているそうだ。同氏に「ガイド料は一万円ほどでよろしいかと」水を向けたら、笑いながら「ただです」とおっしゃるので、納め札をお渡ししておいた。
再び境内に戻ると、国分寺の遍路宿で同宿だったオジサンに出会った。「あんたは健脚だな」と言うので、「実は昨日、魔法の羽が生えまして」と多少の説明を交えながら話をし、大笑いとなった。納経所のオニイサンが、屋島寺の宝物殿は一見に値するというので、500円の入館料を納め拝観したが、屋島合戦の古文書はもとより、ここに安置されている御本尊の千手観音様の素晴らしさに目を見張り、人の言うことを素直に聞くことの功徳を悟った。納経所に戻り、これまで巡拝してきた各寺でもらった御本尊の御姿を納める保存帖(2,000円 x 2)を買い、荷物を預かってもらったお礼に代えた。屋島寺から下る坂道を降りて行ったら、あちこちの寺で顔を見掛けたような遍路たちが汗をかきながら続々と上がってくる。皆一様に挨拶を交わしながらも、涼しい顔をして逆の道をたどっている私を不審げに見ていた。
琴電の潟元駅から瓦町経由で、前日参拝した長尾寺の前の駅まで行き(500円ほどだったと思う)、そこからコミュニティバスで第88番大窪寺まで運んでもらった。30kmほどの道のりだが、バス代はわずか200円。タクシー会社で交渉していたオバサンに聞いたら往復で8,000円ほどかかるという。バスには遍路以外にも地元のご老人がたくさん乗っておられ、この地域には欠かせない交通手段であることが分かる。よそ者がそれに格安の運賃で便乗させてもらうわけで、やや気が引けた。
大窪寺での参拝を無事済ませ、門前の茶店の赤い毛氈を敷いた縁台に座り込み、店のオバサンに温めてもらったワンカップをツーカップやり、孤独な満願祝いを挙行した。心境としては、ついに全部回ったという満足感より、もう終わってしまったという脱力感の方が強く、やや酔いが回ったようだ。足の裏まで血液がめぐりズキズキする。それにしてもズボラでグウタラな極みのような私が、よくもこれまで納経帳と掛け軸を失くさず、これといった病気もせず、88もの寺を巡りきったものだ。これまでまがりなりにも動いてくれた貧脚をさすりながら、神仏のご加護、絶大なご理解を頂いた勤め先の社長、そして我がヨメハンに改めて感謝を捧げた。
















