伊予路
11月27日(木)うす曇り
旅館を8時頃出発。もともとここには2泊しようと思っていたが、タクシーを活用すればかなり前まで進めることに気付き、約束を破り申し訳ありませんと謝って勘定をしてもらった。四国はどこへ行くにも初めてのところばかりで土地勘がなく、かといって出発前からキッチリ調べるような几帳面さも持ち合わせず、いつも行き当たりばったりですませてきたのだが、さすがに昨夜は多少頭を使わねばとガイドブックと地図を入念に検討した。かつては観音寺駅と雲辺寺に登るロープウェー口を結ぶバス路線が走っていたそうだが、残念ながら今は廃止となっており、徒歩では20kmほどもあるとのこと。同駅前で客待ちをしていたタクシーの先頭車両の私と同年輩の運転手に、雲辺寺から六十七番大興寺(ダイコウジ)さらには七十番本山寺(モトヤマジ)までの半日コースで交渉した。口数の少ない人の良さそうな運転手がしばらく考えてから「1万円までヤロ」というので、こちらもしばらく考えてから、結局、乗せてもらうことにした。
雲辺寺は四国八十八カ所の中では最も高い標高900mほどの山上にある。そこに登るロープウェーは全長およそ3,000m、一番長い支柱間の距離も1,800mと世界最長クラスで迫力満点だ。乗っている時間は片道7分で運賃は往復2,000円。山麓からの登山時間は標準で2時間というが、私の場合はおそらく3時間近くかかるだろうし、今の足の状態ではその先どうなるかも分からない。
雲辺寺は高山のほぼ頂に位置するが、それでも長宗我部氏の焼き討ちに会っている。当時の住職に「あんたは四国を統一する器でない」と言われたのに腹を立ててのことらしい。人工降雪のスキー場もある山上の寺はさすがに底冷えがし、結氷の恐れがあるとかで手水も止めてある。すでに境内には歩き遍路が幾人か到着していたが、中でも細身の長身に大きなリュックを背負い足にはスパッツを付けた中年の男性が私の目を引いた。これまでの巡拝途中でかなりの数の歩き遍路を見掛け、そのうちの何人かとは色々な会話もしたが、ほとんどは“区切り打ち”といって、八十八カ所を通しでまわるのではなく、比較的軽装で5~6回に分けて巡拝する人たちである。連日30km以上歩かねばならず、1,200km以上といわれる全行程を一度で歩きとおすには余程の体力がいる。今、私から10mほど離れた寺のベンチに静かにたたずむ遍路は、大型のリュックとは別に寝袋の入ったバッグも携行しており、その近寄り難いような雰囲気から推して、野宿も辞さずに“通し打ち”を敢行しているのに違いない。連夜晩酌を積み重ね臭気フンプンたる我が身に引き比べ、彼の周辺からは神々しい霊気のようなものが立ち上っているように思えた。
この世には臭気と霊気との間にたくさんの人間がうごめいているのだなどと、埒(ラチ)もないことを考えながらロープウェーを下り、再びタクシーに乗り大興寺、さらには本山寺へと移動した。その間の、とつとつとした口ぶりの運転手との会話はなかなか味があり、こういう出会いも気が休まると感じさせられる。かつては景気の良い職業についていたが、下り坂となったので土いじりの仕事に鞍替えしたもののはかばかしくなく、現在は高齢の母親との二人暮らしで、適度のタクシー稼業とわずかな年金でのんびりやっているそうだ。
大興寺については、たっぷりと読経をした以外、失礼ながらあまり印象が残っていないが、本山寺の方は堂々たる明治時代の五重塔がそびえ、その横にある鎌倉時代建立の本堂には「国宝」の表示があった。この寺も長宗我部氏の侵入を受けたが、住職が自らの命と引き換えに寺を守ったとのこと。山上の雲辺寺が焼かれ平地の本山寺が戦火をまぬがれたというのも何かの因縁なのだろう。往時を偲びながら境内で一服させてもらった。かの運転手氏とはここまでの約束であったが、昼飯時で近くにうまいカレー屋があるというので、そこで食事をともにしてから別れた。お互い名前も聞かない一期一会であったが、縁があればまた会えるだろう。
寺からほど近いJR本山駅は駅舎内でウドン屋が営業しており、切符切りのオネエサンもなかなか親切にいろいろ教えてくれた。そこから三野駅に移動し(210円)およそ1時間歩き、かなりの高台に位置する七十一番弥谷寺(イヤダニジ)に続く急勾配の石段をはい上がった。午前中楽した分、午後は修行をした格好だ。ここの本堂の裏手の山肌には磨崖仏が彫られており、伊予の岩屋寺とやや似た雰囲気がある。靴を脱いで上がる本堂と大師堂での参拝を済ませ、納経所の売店で観音経本を譲ってもらったところ、店のオジサンは不思議そうな顔をしていた。こんな難しいお経を読む奴とは見てくれなかったらしい。
寺を下った山門近くの茶店で般若湯を一杯やっていると雨が降り出した。三日間、降らなかったのでそろそろ雨の出番のようだ。茶店には若いカップルの歩き遍路が、これから善通寺まで距離を延ばそうと話しながら、雨合羽を身につけ出した。私の方は、ここから10分ほど歩いたところの道の駅に付属する地元三セク経営の天然温泉宿(一泊二食付き9,000円)の予約を済ませており、カップルが出発してからもしばらく般若湯の余韻を楽しみながら、茶店の女主人と馬鹿話をした。この日の歩行実績は13,000歩、8km。


