11月24日(日) 雨
早朝06:30岡山着、新幹線に乗り換え福山まで行き(1,680円)、しまなみ海道を走り抜ける高速バスで今治駅に向かう。2時間ほどバスに乗りっぱなしとなるのでトイレ付か尋ねたが、「付いてない」とのすげない答えで心細い限りだったが、幸いにも私の腹は反乱を起こさずにいてくれた。途中、バスの窓外を眺めていたころは小止みだった雨が再び勢いを盛り返してきた。09:00過ぎに着いた駅前のターミナルで五十七番札所栄福寺(エイフクジ)方面に行くバスの時刻表を調べたら1時間半ほどの待ち時間があった。今治駅構内の観光案内所で近隣の札所巡りの地図をもらい、リュックから引っ張り出した折り畳み式の傘をさしながら、北に向かう広い自動車道に沿ってトボトボ歩きだす。
駅から30分ほどの距離までは整備されていた歩道が太い国道を横切ったとたんに消滅し、道の端に引かれた白線をたよりに歩き続けるが、身体のすぐ横を情け容赦なく飛ばして行く自動車がはね上げる泥混じりのしずくに悩まされ、傘をさしている意味がない。雨宿りする場所も見当たらず、リュックの一番底に突っ込んだ雨合羽を取り出すのも面倒だ。雨は止む気配もなく、せめて納経帳と納経掛け軸は濡らすまいと努力するのが精一杯であった。
かれこれ2時間近く悪戦苦闘したところで自動車道からそれる細い遍路道を見つけ、ぬかるんではいたが自動車をよける心配がなくなったのでホッとした。そこから間もない、遍路行再開後はじめて訪れた栄福寺での勤行は雨中のこととて早々に済まさせてもらい、門前の売店に駆け込み、ペットボトル入りのお茶を買い一服した。八十年配の夫婦が細々と営む遍路グッズ専門の店だが、悪天候の日は客が来ないとぼやきながらも「ゆっくり休んでいきゃあエエ」と言ってくれた。お茶だけではすまない気持ちになり、灯明のロウソクに点火するのに便利なライターも譲ってもらった。
五十八番遊仙寺(ユウセンジ)に行くには歩くしかない。電車とバスをフル活用し時にはタクシーにも乗るグウタラ遍路だが、こうした場所では、ひ弱ではあっても、自分の足に頼るのみである。タバコを2本ほど吸ったところで、売店の奥さんに聞いた遍路道をたどり始めた。道は最初平坦だったが10分もしないうちに急な登り坂となり、雨水をたっぷり吸った地面は実にすべりやすい。先ほどの自動車専用道での雨中行軍といい、遍路行を再開したとたんにこの荒行でやや先行きが不安になった。とはいえ、舗装されてはいるがかなり遠回りとなる車道まで今さら戻る気にもなれず、ママよとばかり前進する。遍路道はやがて鬱蒼とした林の中へと突入し、他に人影も見えず寂しいことこの上ない。
やっと樹林帯を抜けたが、そぼ降る雨であたりはけむり景色を楽しむどころではない。舗装された自動車道を横切りさらに1時間ほど歩いたところで、ようやく目指す寺の看板が出てきた。教えられたとおり山門のところで自動車道と別れ険しい階段を20分ほど這い登り、肩を喘がせながら参拝を済ませた。良く見るとモミジが鮮やかに色づいており好天ならばなかなか風情のある寺のようだが、初冬の日照時間は思いのほか短いとの思いに取りつかれていたので、ゆっくり休む間もなく下りにかかった。ガイドブックによれば、1時間半ほどの歩行で五十九番国分寺(コクブンジ)にたどり着けるはずだ。
またも自動車道から外れるぬかるんだ遍路道を降りて行くと、赤い立派な錫杖をつき軽装ながら遍路のいでたちもピタリと決まった壮年の男性が登ってくるのと出会った。会釈をすると先方も立ち止まり「良くお参りなさいました。ちょっと下ればあとは平地ですから、気を付けてください」と言われた。なかなか風格のある人物で、あるいは今参拝した寺の住職さんかもしれない。もう少し話をしていたかったが、気が急くままに別れを告げた。袖すり合うも多少の縁だが、あっさり分かれる一期一会も遍路の習いである。すべって尻もちをついたりしながら坂道を下り、踊り場のようなところでしばし足を止めて前方を見ると、いつの間にか雨も上がり眼下に今治の市街が広がっている。雨に顔を伏せながら懸命で登って来たので分からなかったが、仙遊寺は存外高度のある場所に位置するようだ。最初からその高さが眼に入っていたら、てっぺんまで歩いて登る気力が相当に萎えていたことだろう。
あたりはようやく舗装された平地の道となり、快調に歩きだしたとたんに左足の裏に鈍痛を感じた。実は春の遍路行を中断した後、その必要性を実感した歩行訓練に励んでいたところ、ある日突然、左膝裏の、恐らくはスジと思われる部分に激痛が走り、8月いっぱい週1日の会社通いにも不便を感じるほどの酷い目にあった。新発売のフェルビナクとやらを配合した湿布薬を塗り続けた効果で何とか痛みは和らいだものの、再発の恐れを抱いたままの遍路行再開であったが、やはり両足のバランスが崩れていたのだろう。それでもスジの激痛よりは大分ましで、歩行速度を緩めながらもひたすら歩いた。途中、溜池の水を干し上げた場所を数カ所目撃し、子供のころ故郷の上総で見た同じような泥さらいの光景を思い出した。さらに歩き続け、ふと道と並行する細い用水に目をやると、流れの細くなった川底に無数の鮒が白い腹を上にしてパクパクやっており、我が家の近所でも見かけるあの忌々しい鴉のやつが何羽も群れながら哀れな鮒をつついている。溜池の水を放流した結果だろうが、もったいない話である。昔は“寒鮒”と称して、ぶつ切りにしてみそ汁に入れた料理は大変なご馳走だったが、現代では食材としての鮒など見向きもされないようだ。
それから国分寺までの道のりは自動車道が主体で、途中から雨がぶり返したこともあり、悲惨なものとなった。途中で握り飯を買おうと立ち寄ったコンビニの若い店員は遍路道などあまり知らないようだった。結局、“同行二人の道しるべ”を見失い山勘でかれこれ2時間ばかり必死に歩きようやくたどり着いた寺で御朱印を頂戴した頃は日も暮れかけていた。それでも気力を絞って伊予の国分寺の面影を探ろうと、寺からやや離れた古代の堂宇の礎石が七つ八つ転がっている場所まで足を延ばしたが、阿波や土佐の国分寺と異なり住宅街の片隅にあるやや殺風景な遺跡で、あまり感慨が湧かなかった。
雨もようやく上がり、国分寺から30分ほど歩いたところにあるJR予讃線の伊予富田駅にたどり着いたのは4時過ぎごろだったと思う。ここは無人駅で、駅前の民家の奥さんに切符を売ってもらい今治まで戻り(210円)、春の遍路行を中断した際に厄介になり今回も前もって予約しておいた遍路宿Sに再び投宿した。経営者の老夫婦は約束通り私の金剛杖と菅傘を預かっていてくれた。今回は六畳間ほどの個室に通され、順番待ちの風呂に入り、古新聞紙を乾燥材代わりに水浸しとなった靴に突っ込み、冷えた身体を温めるための焼酎をコップで2杯もらい、素朴ながらも懐かしい夕食をおいしくいただいた。この宿には相変わらず歩き遍路が投宿しており、九州と青森から来たという私よりやや年配と思われるオジサン二人が明日はどこまで歩けるか、箸を動かしながら話し合っていた。この日の歩行実績は28,000歩、およそ18km、アップダウンもあり初日から相当に疲れた。宿泊代一泊二食付き6,600円。
















