5月25日(日)曇り
驚くなかれ06:09八幡浜初特急で松山に向かう。昨夜は記憶喪失に近いご酩酊のムクいで風呂に入りそこなった。この程度で済んだことに感謝すべきだろう。かの知人にはなんぼお礼を述べても足らないほどの恩義を受けた。
車窓から眺めると天気は快方に向かいそうだが、山々には白い雲が低く垂れこめている。07:00をやや過ぎたころに着いた松山駅の駅員は、四十四番大寳寺(ダイホウジ)行きのバス乗り場を答えられない。もともとあまり当てにしていなかったので駅前のバスターミナルで待機中の運転手に同じ質問をしたら、その便は“松山市駅”から出るとのことで、「たまたまこのバスは市駅に停まるので乗っていけ」という。四国には、私のような汽車とバスを活用し、場合によってはタクシーもつかまえるような個人遍路を対象とする総合案内所が、あるいはあるのかもしれないが、見当たらない。「前もってよく調べろ。それも旅の醍醐味ではないか」との天の声も聞こえそうだが、そうした案内所があれば四国遍路のさらなる振興につながるのではないかと、前の晩に八幡浜の知人と話し合ったところだ。
大寳寺に向かう久万行きのバスの時刻表を見たら、一日に5本しか走っておらず、次の発車は08:00となっている。八幡浜を早立ちしていなかったら、乗り損なうところだった。
停留所には遍路らしき姿が7~8人たむろし、バスに乗る以前から、誰からともなく情報交換が始まっていた。見ず知らずの赤の他人が何のこだわりもなく、顔を合わせてさほど間を置かずに口をきけるのは、四国遍路の最大の美点だと思う。バスが大寳寺に着くころには、三重や千葉から来たともに65歳というオバサン二人と神戸から来た50歳の気の良さそうなオニイサンと私の四人が、何となくこの日は一緒に巡拝しようという話がまとまっていた。今年はうるう年で、八十八番から逆にまわる「逆打ち」が御利益のある年とかで、三人ともそうしているとのこと。すべて私と同じ汽車、バス、場合によってはタクシーを活用するとのことで話が合った(バス代は松山市駅から久万営業所まで1,300円、歩き20分で大寳寺、それから四十五番岩屋寺まで500円)。
バスの接続の関係で大寳寺は駆け足参拝で済ませたが、岩屋寺は戻りのバスの発車まで2時間以上あり、寺まで往復1時間の急坂を入れても、大寳寺の不足分を補うほど念を入れて読経することができた。参拝客に覆いかぶさるような大きな一枚岩を背にする岩屋寺の納経所で御朱印を受けていたら、ドッスーンという大きな音が屋根の方から聞こえた。皆驚いて外に駈け出したが、どうやら岩の一部が崩れて落下したらしい。ケガ人はなく寺の人間は平気な顔をしており、毎度のことのようだ。
その一枚岩の納経所脇にうがたれたやや奥深い洞窟の中に入ってみたら、足もとが見えないほどの真暗闇の中に小さなろうそくが一本、仏像らしき石の塊の前にともされており、「なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」思いがした。こうした教養の深さを備えている割には、下りの参道でビールを売っている店に出くわすと、すぐに買ってしまう。スーパードライ350円也を仕入れた私を見て、神戸のオニイサンはバス停前の売店なら300円だという。彼は何度かお四国さんをまわっているとのことだが、ビールの値段まで覚えているのには感心した。要するに50円損したわけだが、これも寺詣りの途中でアルコールの注入を焦った罰だろう。ビールはほろ苦く喉にしみた。
岩屋寺の境内では、私と同じ武蔵の国から車で来たという夫婦づれとも話をした。退職を機に石鎚山に登山かたがたお参りに来たとのことで、豆芝(小型の柴犬)を同行している。例の連れになったオバサン二人がそれぞれくれた握り飯が余っていたので、それをやると、私の手から直接、実にうまそうに食べる。こいつはメンコイ埼玉犬の遍路犬だと、同県人同士で冗談を言い合いながら大いに盛り上がった。そのほかにも実にいろんな人材が行きかっており、八十八歳で八十八か所をなるべく歩きながら巡拝中というジイサマもいた。ゴルフでいえばエージシューターだ。「ここまで生きて四国にも来れたのだから、何も怖いことはない」と、あたかも行き倒れも辞さないような意気込みに圧倒された。このような超人的な大先輩をながめていると、改めて身体を鍛えなおし、四国札所のみならず、山登りが主体の、たとえば出羽三山詣出などに挑戦してみたいとの思いが募る。いわゆる血が騒ぐというやつだが、実行するには胃袋ばかりでなく筋肉の方も鍛えなおさねばなるまい。ただ、果たして今から間に合うかどうかは別の問題である。
再びバスで岩屋寺から久万営業所まで戻り(540円)、松山行きに乗り換えた。その途中、私はここまで同行した三人に別れを告げ、御坂(ミサカ)という停留所で降りた(750円)。出会いと別れは遍路のならいで、縁があったら又会いましょうと、お互い実にあっさりしたものだ。
同じ場停留所で降りた、エージシューター遍路とそのお伴とおぼしき、これまたかなりの高齢のジイサマが、二人とも金剛杖ならぬ2本のストックをスキーのようにしてグイグイと漕ぎながら、私の先の方の坂道を下っていく。こちらはしばし度肝を抜かれた形で眺めていたが、やや間をおいてから二人を追って歩き出した。携帯で写真を撮りながらついていったが、曲がりくねった山道でもあり、ややもすると姿を見失いそうになる。何とも元気な老人軍団である。坂道を1時間ほど下る途中には卯の花が咲き乱れホトトギスがウグイスと鳴き声を競っている。「夏はきぬ」の歌詞そのままの光景だ。ようやく松山市の北の外れに位置する集落にたどりつき四十六番浄瑠璃寺(ジョウルリジ)に参拝した。ジイサマ二人は、この寺の門前にある遍路宿に入って行った。
浄瑠璃寺の納経所に座っているオジサンはいかにも人の良さそうな感じで、今夜の宿の相談にも親切に乗ってくれたが、このあたりには門前の遍路宿しかないという。礼を言って、まずは1.5kmほどしか離れていない四十七番八坂寺(ヤサカジ)まで足を延ばし、そこの住職にも聞いてみたが、やはりCがお勧めとのことだったので、携帯で予約を入れた。
宿の方向に戻る途中で通りがかりの六十がらみの奥さんが、紙パック入りの野菜ジュースを恵んでくれた。浄瑠璃寺で近所の奥さん方と御詠歌の集まりがあり、その帰り道にお遍路さんに会えたと喜ぶ姿に、四国ならでは雰囲気を感じた。
宿には4時過ぎに着いたので、ゆっくりと荷物の整理もできた。ここは遍路専門の民宿で、晩飯時はコップに入れた焼酎を一杯300円の現金払いで飲ませるシステムが分かりやすく、ここに来たのは正解だった(二食付き6,600円)。百畳敷きと思われる大食堂には、例のジイサマ軍団の他に、徳島からずっと歩きとおしてきたという九州の中年夫婦づれや、ややビッコをひきながらも出来るだけ歩くように心がけているという茨城在の古希のオジサンなどの個人遍路にバスで押し掛けた団体も加わり、相当ににぎやかだった。
この時点での遍路用品以外の私の持ち物を以下に列挙する。
- ズボン1本 はきっぱなしで、11日目の民宿で洗濯乾燥してもらった。
- 半袖Tシャツ2枚 なるべく洗いながらとっかえひっかえ着ている。
- パンツ2枚 上に同じ。
- 靴下3足 上に同じ。
- カッパ上下1組 その昔ゴルフ用に買ったもの。
天気に恵まれたこともあるが、とにかく2週間近くをこれだけの衣類で凌いできたと思うと、我ながら感心する。家にいる時は、下着類を毎日替えているが、その日の宿屋もぎりぎりまで決まらないような旅の空では疲れて洗たくする気も起きないことがあり、2日や3日は平気でそのまま身につけ、本人が異臭や気持ち悪さを感じない限り、これで良いとの心境になっている。まがりなりにも歩き遍路をやっている時は、着る物より荷物の軽さがまず優先する。Tシャツは、超軽量の汗がすぐ乾くのを2枚、出発前に娘が餞別にくれたが、実に役立っている。
天気も暑からず寒からずで快適な一日だった。ハチもこの日は出没しなかった。歩行実績は18,000歩、12km。
















