5月20日(火)晴れ
前の晩の土砂降りが嘘のような快晴だ。台風は東方海上に去ったという。06:00に朝食を済ませて宿代を払い、Bさんの部屋に様子を見に行った。やはり昨晩、変な咳が出たとのことで、医者に見せて具合が悪ければ帰宅するとのことだったので、お大事にと申し上げ、一期一会の老遍路に別れを告げた。
07:00に、宿の若旦那が歩けば一時間以上かかる二十八番大日寺(ダイニチジ)まで車で送ってくれた。前の晩から例のカギ事件でのキビキビした活躍やBさんの世話を何かと焼く態度に好感が持て、納め札を渡して礼に代えた。人影もまばらな早朝の境内で他に気兼ねなくお経をあげるのは実に気持ちが良い。この日は前日のタクシー頼りの遍路行とは打って変わり、ひたすら歩く修行の人となる決意だ。汽車やバスの便がないので歩くしかない事情もある。天気予報がかなりの高温になりそうだと告げていたので、大日寺門前の売店で白衣を買い求め(2,500円)、徳島入り以来着続けてやや異臭を放ち始めていた長袖のTシャツと取り換えた。最御﨑寺で調達した輪袈裟と組み合わせてみると、恰好だけは本格的な遍路が出来上がった。白衣は風通しが良く快適だ。
大日寺を出て、物部川という何やら謂れのありそうな川に沿って一旦北上して橋を渡りまた南下するという遍路道で、道端には苗が気持ちよく植えられた田んぼに加えニラ栽培のハウスやタバコ畑が散在している。地元の有志が金を出し合って建てたという遍路の休憩所では、たまたま散歩に来ていたバアサマと世間話もした。最近は関東方面からの遍路が多いことや、若い女性の一人歩きが目立つが親は心配しないのかなど、いろいろ独り言みたいに話していたが、私はタバコをふかしながらいちいち相槌を打っていた。カナダから来てここに住み着いたという自転車に乗った変なガイジンと立ち話をし、高知市内のタタキのうまい店を教えてもらう場面もあった。
二十九番国分寺(コクブンジ)まで約8kmの道のりを2時間強ほどかけて歩き参拝した。阿波の国分寺に比べ建物も立派で清掃も行き届いている。ここの境内で、一昨日、汽車とバスに乗り合わせた物々しい遍路とバッタリ会った。バスに置き忘れた金剛杖が無事手元に戻ったことや、私が宿に電話をかけてやったことなどについて礼を言われ、くすぐったい思いがした。おとといはあまり愛想がなかったが、無理に歩くのをやめ疲れも取れたせいか、まともな挨拶をする余裕が出てきたようだ。彼はまた、大日寺でBさんに出会ったとも言っていた。あの老遍路は実に強靭な身体をしているらしい。いずれにしろ結構なことだ。
気温はぐんぐん上がっていたが、国分寺から1.5kmほど戻ったところに紀の貫之が土佐の国司を勤めていた頃の屋敷跡があると聞いて、折角のチャンスなので汗をかきながら行ってみた。広大な田んぼの真ん中に、“土佐国府跡周辺古代散策公園”という真新しい看板やいくつかの古びた石碑が立っており、しばし平安の時代に思いをはせた。
瞑想から覚め、三十番善楽寺(ゼンラクジ)を目指し再び歩き出した。紀の貫之が船で往復したであろう川沿いを高知の市内方向に続く果てしのない道をたどり、午後の3時ごろようやく善楽寺にたどり着き参拝した。このあたりは前の国分寺も合わせ、現在の高知市中心地よりかなり北方にあたるが、天平から平安の昔には土佐の中心地だったところだ。阿波路でもそうしたように、善楽寺と同じ場所に鎮座する土佐一の宮にも参拝し御朱印をもらった。ここの鳥居から本殿に至る参道はまっすぐ一本に伸びる実に素晴らしいたたずまいだ。本殿の建物は修理中で全貌は見えないが国宝級とのことで、巫女さんの応対もあたたかく、心が休まった。せめてもの修復費として1,000円也を奉納させてもらった。
この日の昼飯は、道端で売っていた饅頭とタイ焼きを1個ずつで済ませた。いずれも道を聞くために買ったものである(お茶代と合わせ400円)。
善楽寺から高知市内のはりまや橋まではバス(490円)を使用し、予約をしておいたビジネスホテルに落ち着いた。ここには2泊する予定だ。徳島のホテルよりやや部屋は狭いが、料金は朝食付きで6,800円。夕食は近所の百貨店の地下で寿司とサラダを半額で仕入れホテルの部屋で済ませた。カツオのたたきは翌晩までお預けだ。この日の歩行実績は37,000歩、24km。実感としては今までで一番疲れた遍路行で、ふくらはぎが突っ張り、おまけにきつい紫外線を浴びたため手の甲にブツブツが出始めた。
















