土佐路
5月19日(月)曇りのち雨
昨夜、風呂の体重計に乗ってみたら、出発前に80kgに近づきこれはいかんなと心配していた体重が75kgほどに落ちていた。腹まわりが太くなると血糖値がとたんに上がる。何度も復元はきかないと医者から言われているが、やはり歩行の効果は抜群である。台風の影響も心配していたほどではなく、雨模様ながら風はない。
出しゃばらず、かといって適当に話もしてくれる女将さんが持たせてくれたお接待の握り飯をリュックに詰め、B先輩とともに07:00に宿を発ち、二十四番最御﨑寺(ホツミサキジ)に向かい歩きだした。その前に、室戸岬の先端に位置する、その昔、弘法大師がおこもりし明けの明星が体内に入ったのを感得されたと伝える洞窟に参拝した。弘法大師「空海」の名は、大龍寺の修行を「空」、室戸岬のおこもりを「海」と見立てているとの話をどこかで聞いたように思う。それなりに神秘的な雰囲気の漂う洞窟から出て、Bさんの提案により、前夜の雨に濡れ歩きにくそうな昔の遍路道を避け、2km足らずの自動車道をたどり、岬の上にそびえる山の頂上にある最御﨑寺まで歩いて登った。途中、この老遍路が道ばたで立ち止まり、いきなりズボンを下ろしてしゃがみこんだのには驚いた。小生もこれを見て腹の具合がおかしくなり、カーブのヤブ陰に走りこんで用を足した。それにしても野XXなど行ったのは何十年ぶりのことだろう。
朝民宿を発つ時、女将さんが遍路臭の希薄な私の格好を見て、せめて“輪袈裟”くらいはつけた方が良いとおっしゃっていたのを思い出し、寺に付属する遍路センターで買い求めた(2,000円)。この遍路センターはユースホステルも兼ねているが、歩き遍路でないと泊まれないらしい。
再び山を下り民宿の前を通る旧道を逆にたどり、二十五番津照寺(シンショウジ)まで6kmほどを、Bさんペースでゆっくりと歩いた。道すがら、土佐日記で有名な紀の貫之が乗った船が立ち寄った古代の雰囲気がただよう港などあり、歴史を感じさせる。津照寺の山門は急勾配の階段の途中にあり、両足部分が白壁で上部が赤く塗られ、まるで竜宮城に入るような感じがある。
参拝後の境内で女将さん心づくしの握り飯を有り難く頂き、寺を出発した頃から雨がやや強く降りだした。最初、Bさんはバスで移動した上で5kmほど歩き二十六番金剛頂寺を目指すつもりだったようだが、結局は二人で乗れば安くつくとばかり、タクシーで参拝する方法を選んだ(2,500円÷2)。そこからかなり離れた二十七番神峰寺(コウノミネジ)まではバス(1,000円)とタクシー(3,400円÷2)を併用した。タクシーを待たせての参拝はあわただしく、やや心残りではあったが、特に神峰寺は1時間以上の、それも横なぐりの雨の中での登山となるので、高齢のBさんならずとも尻込みする状況にはあった。ましてBさんは、この寺の勾配のきついコンクリートの参道で転倒して右肩を打ち、左肘をひどくすりむくアクシデントにも見舞われた。危うく頭部を打ちそうになったが、菅笠をかぶっていたので事なきを得たようだ。「山登りを決行していたら相当な難儀にあっただろう。あんたと同行してタクシーに乗れて良かった」とおっしゃっていた。
神峰寺から下ったところにある土佐くろしお鉄道の唐の浜駅で、すり傷に私の持参していたオロナイン軟膏を塗って差し上げながらBさんと相談し、汽車で30分ほど高知に寄った方向にある赤岡というところの宿屋(7,500円)を予約した。この旅館には東京から来たという貫禄のある坊さんが引率する爺さん・婆さんの団体遍路も投宿しており、なかなか賑わっていた。風呂からあがり部屋でくつろいでいたら、私の向かいの部屋の戸をドンドン叩く音がしたので出てみると、婆さん遍路の一人が「中に主人がいるはずなのに、返事がない」とオロオロしている。年寄りをいたわるのも修行の一環とばかり宿の若旦那を呼びに行き合鍵で開けるところまで見届けた。連れ合いの爺さんは気持ちよく寝ておらたれようだが、とにかく一件落着となった。この日はまさに敬老デーとなった。
結構豪華な夕食の膳を囲みながら、Bさんは私がうまそうに日本酒(土佐鶴)をチビチビやるのをながめ「飲める人はエエですな」とおっしゃりながら、時々右肩のあたりをさすり顔をしかめている。「一晩眠られてから調子が悪いようなら医者にかかられた方が良いですよ」と申し上げたが、「なに大丈夫でしょ」との返事だった。前の晩、自宅への定時コールを怠り奥さんにこっぴどく叱られたとの話も聞いていたので、「今晩は電話されましたか」と聞いたら、「はい、済ませました。また油を絞られました」と苦笑いされた。この日はさして歩いていないと思っていたが、腕時計のメータは26,000歩、15kmを表示していた。


