阿波路
5月18日(日)晴れ
旅も7日目に入ったが、熟睡したせいか心配していたほどの疲れは感じない。眠れば体力がある程度戻るのは、まだ当分死なないということだろう。朝の便通もマアマアだ。ホテルをチェックアウトし、三日ぶりにリュックを担ぎ、06:47徳島駅発の牟岐線に乗り込んだ。車内に遍路らしき乗客は私以外見当たらない。
この日は阿波路の最終日で、できれば日が暮れるまでに電車とバスを乗り継ぎ土佐路の起点である室戸岬までたどり着きたい。桑野駅で降り(740円)、駅前で車を停めていた40歳くらいの奥さんに大龍寺方面行きのバス停のありかを聞いたところ、親切に教えてくれた。ただし、ご本人はもっぱら車生活でバスがどの程度の間隔で走っているかは知らないという。妙なことをおっしゃると思いつつ、そもそも駅前に大龍寺の案内がないのがおかしいことに気付いた。良く探せばあるのかもしれないが、遍路ブームの昨今、分かりやすい所に表示しないのはJRの努力不足ではないかとボヤきつつ、とにかく駅から10分ほどの停留所まで歩いて行った。ところが停留所の丸い表示板には大龍寺の文字は見当たらずバス通りに人影もなく途方に暮れていると、さっきの奥さんが私の目の前で軽乗用車を停め、同じ方向だから山頂の寺に上るロープウェーの入り口まで乗せて行ってくれるという。やや半信半疑ではあったが、ここで遠慮しても仕方がないと、ご好意に甘えることにした。奥さんは塾に行くお子さんを桑野駅まで送りにきた帰り道とのことで、ロープウェー駅のある集落に住んでいるから問題ないとおっしゃる。かれこれ10km以上も走ったと思われる車から降りる際に、遍路が御接待にあずかった場合の礼儀にのっとり、納め札をお渡ししておいた。彼女はまさに観音様である。前の日に、もし鶴林寺から大龍時までの山道をたどっていたら、こうした御接待を受けることはなかったわけで、不思議な巡り合わせというほかない。
ロープウェーは、まず清流をまたぎながら手前の峰をいったん乗り越えてから下り、大龍寺のある二番目の高みまで再び上昇するという、日本でも珍しい方式だそうだ。その迫力は満点でスピードの緩いジェットコースターのようだが、往復わずか20分ほどの料金も2,400円と迫力がある。寺から2kmほどさらに上がったところに弘法大師が悟りを開いたと伝わる舎心ガ嶽という高台にも参拝したが、さすがに神秘的なそのたたずまいに山歩きの疲れも忘れ、満足して下山した。
ロープウェー駅からバス停まで1kmほど歩き、途中のコンビニで握り飯とお茶(400円)を買い込み、早めの昼飯をとりながら、徳島方面行きのバスを待った。そこから山口中というバス停まで乗り(440円)、二十二番平等寺に向かう殺風景な車道をトボトボとひたすら距離を稼いだ。参拝を済ませ、最寄りの新野(アラタノ)駅に向かっていたら、道端の藪かげから突然、いかにも獰猛そうな野良犬に吠えかけられた。この時のことはあまりよく覚えていないが、無意識に払った金剛杖がワン公の口のあたり命中したらしく、キャンキャンいいながら逃げて行った。実は前日も、徳島駅前の広い歩道をボンヤリ歩いていたら、いきなり後ろから「アブナイ」と叫ばれ思わず身をひねったら、若いオネエチャンが3人、自転車の横列縦隊で駆け抜けながら「びっくりした。前見てオランカッタ」と話しながら走り去った。ふと杖の先端を見ると、タイヤの擦れた跡が黒々と残っていた。二日続けて“お杖さん”に助けられたことになる。
新野駅では下り線が到着するまで1時間ほど間があった。昼間ではあるがホームにいるのは私一人で、おまけに大人しそうではあるが野良犬もウロウロしており、あまり気持ちが良くない。自分の臆病さを嘆きながらタバコをやたらにふかしていたら、私よりかなり年配の遍路が姿を現し話しかけてきた。後で聞いたら、今回で9回目の四国遍路を83歳の高齢をものともせず実行している山陰在住のBさんとのことだった。さらに電車を待っていると、大きなリュックに登山靴姿も物々しい、私よりやや若そうな遍路がホームに入ってきたが、こちらはあまり元気がない。ちょうど到着した列車に3人とも乗り込み日和佐駅(350円)で降り、阿波最後の札所となる二十三番薬王寺をあわただしく参拝して、門前で托鉢していた若い遍路のお椀に100円玉を入れてから駅に戻り、15:21発でさらに南下した。
その車中でB先輩が今晩のネグラを確保していないとおっしゃるので、ご本人のご意向を伺ったうえで自分が予約しておいた室戸岬の民宿に携帯で掛け合い、オーケーをとった。そのうち最初は居眠りしていた例の物々しい巡礼も話に加わり、焼山寺、鶴林寺、大龍寺と山越えで来たが、ついに体力が限界となり電車に乗ったという。こちらも室戸の宿を予約していないとつぶやいたので、JRの終点「甲浦」(カンノウラ)から室戸に向かうバスの待合室で再び民宿に問い合わせてみたが、電話の返事がない。半時間ほどしてかけ直すとつながったが、すでに食材の準備を済ませたので無理との返事だった。
体力の尽きた遍路は60歳で定年退職したばかりだそうで、言葉つきから関東の人間らしい。太平洋が進行方向の左に広がるバスの車内でやや元気を取り戻したらしく、「今回は格好をつけて携帯を持参しなかったのは失敗だった」などとせきを切ったように話していたが、旅館の多そうな場所まで来たところで先に降りた。ふと彼の座っていた座席を見ると金剛杖が残されている。遍路のお守りを置き忘れるとは、よほど疲れていたのだろう。
Bさんと私が投宿した民宿は、4~5名の泊り客で満杯となる程度の民家を兼ねたところで、食事はすべてBさんと同年配の女将さんが整えてくれていた。カツオのたたきこそなかったものの新鮮な魚が中心の食事をいただきながらの会話は、四国をよく知るBさんと女将さんの間でもっぱら交わされた。私はいくらでも飲んでよいと言われた焼酎の紙パックを嬉しそうに抱え込み、ちゃぶ台の上に置かれたお茶用のポットで湯割りを作り、5~6杯ほどやらせてもらった。今日まで巡った阿波は「発心の道場」、明日からの土佐は「修行の道場」と呼ばれるそうだが、修行にしては上々の滑り出しである。宿代は6,000円だったが、翌朝、辞退する女将さんに焼酎代をとってくれと頼んだら、「では500円だけいただきます」と言われた。歩行実績は20,000歩、13km。どうやら台風が接近しているらしい。


