阿波路
5月15日(木) 快晴
目覚めた時点では、前の晩の入浴時に洗った長袖のTシャツが乾ききっておらず、東に向いた部屋の窓を開いて干してみたら、出発までのわずかな時間で十分着れるようになった。今日の遍路行はかなり暑そうだ。6時半からの勤行では住職が経をあげ出席者が唱和する。朝から声を出すのは実に気持ちが良い、家に帰ってからも続けようと思った。
7時に朝食をとり7時半に宿坊を出た。九番法輪寺(ホウリンジ)まで約6kmほどの道のりを1時間半のペースで歩くよう心掛ける。何日も続く遍路行では、一時間に4km程度の距離を稼げれば上出来と思う。無理をすれば長続きしないというのは、西国で多少歩いた経験から分かっている。十楽寺で同宿だった若者が軽快な半ズボン姿でトットと私を追い抜きあっという間に見えなくなったのに続き、私と同年輩のオッサン二人にも追い越されたが、こんな連中と競争するのは愚の骨頂だ。途中、道路工事で標識が途切れている部分もありやや迷ったが、親切な地元の人々に教えてもらい大きく道を間違えることはなかった。四国では、だれも見ていないはずなのに、遍路の格好をしたよそ者らしき輩(やから)がおかしな方向に歩きだすと、どこからともなく「そっちは違いますよ」との声がかかる。この後も、そうした例を何度も経験した。法輪寺は田植えがすんだばかりの田園の真っただ中にたたずんでおり、遠方からでもそれと分かる。この日はトイレに駆け込むこともなく、無事参拝を済ませた。
そこから十番の切幡寺(キリハタジ)までさらに一時間以上歩かねばならない。遍路道をはさむ形で立ち並ぶ民家の一角に万(よろず)屋風のタバコ店をみつけた。たまたま居合わせた店のオジサンにマイルドセブンをくださいと告げると、黙って店の横の自販機の前まで私を連れて行き、ポケットからタスポ・カードを取り出してセンサーにかざし、あとは自分で硬貨を入れて買えという。「わざわざ関東からきてご苦労なことよノウ」と、ややぶっきらぼうな口ぶりながら、自分の使いかけのライターまでくれた。こうした素っ気ない中にも人情味のある、いかにも昔の日本男児らしい対応は実に嬉しい。
「切幡寺まで300m」の看板がある参道に至る曲がり角にたどりつきヤレヤレと思い歩みを早めたら、参道の入り口付近のうどん屋の亭主から、「まだ先が長いからここで一服し、荷物を預けて参拝すれば」とのオファーがあった。聞けばまだ1kmほど、それも急な坂道を上がったところに寺があるという。これだから見知らぬ土地の道路標識は油断がならない。茶店代がわりにヤクルト2本80円也を飲み、お言葉通り荷物を預け参道を這いあがった。最後の方は330段もある階段にとどめを刺され、読経も息絶え絶えながら何とか終えた。その昔、弘法大師に織りたての布の一部を惜しげもなく切り取って喜捨した娘の故事にちなむ寺だそうだが、そんな説明書きも細部まで読む気力がなかった。
気力がやや戻った帰りがけに山門の脇をふと見ると、「人生即遍路」の文字を大きく刻んだ石碑があった。かの山頭火の句だそうで、まさにその通りだとしばらく眺めていた。茶店まで降りてきて時計を見ると11時をまわっていたので、タヌキうどん500円也を頼んだ。これまで何度かに分けて参拝し(“区切り打ち”というそうだ)満願を果たしたという神戸から来た団塊世代の遍路の嬉しそうな話を聞きながら、こっちはまだ七十八カ所も残っているとボンヤリ考えながらうどんをすすった。
茶店を出たところの売店で線香を入れるコンパクトな筒(300円)を買い込み、十一番藤井寺(フジイデラ)を目指した。四国では寺の名前を“xxテラ”と読むのは珍しい。ここまでの道のりはガイドブックによると10km足らずとなっているが、そのちょうど中ほどで吉野川を横切る潜水橋を二本渡る行程も含め、行けども行けどもたどり着かない感じがした。潜水橋というのは増水時に水没するよう設計され欄干がなく道路部分の幅も狭い。私が渡っているときに何台もの車とすれ違ったが、それこそ身体から数センチ横をスピードも緩めずに飛ばしてゆくので危険この上ない。欄干を省いているためつかまる相手がなく、川に落ちるのではなかろうかと何度も思った。潜水橋の話は前々から聞いており一度は渡ってみたいと憧れていたが、二度目は遠慮しておこう。とにかくカンカン照りで暑かったこともあり、途中の自販機で買った冷たいお茶のペットボトルを4本もガブ呑みしたばかりか、たまりかねて飛び込んだ喫茶店でアイスコーヒー(400円)まで頼んだ。
ここまでの道すがら、遍路接待所と称する小ぶりな建物がいくつか設置されていたが、いずれも無人だった。折しもNHK衛星TVで放映中の可愛い卓球のオネエチャンが通過してからは、皆疲れ切って接待休止となっているのではなかろうかと、例によってヒガミ交じりの思いがよぎったが、接待は強要するものにあらずと考え直した。同じく道端には墓石や仏像、中には「へんろ云々」との文字がかすかに読み取れる、あるいは行き倒れを弔うものであろう古びた石碑も散見される。ヨソから来た人間としては、いわば近隣をお騒がせしているわけだから、通り過ぎるたびに野球帽(まだ菅笠は買っていない)をとり敬礼する。
結局、3時間あまりも歩いて藤井寺にたどりつき、ベンチで一息入れてから参拝した。ここは十二番焼山寺(ショウサンジ)に至る、俗に「ヘンロ転がし」と呼ばれる、かなり高低差のある高い山を二つも越す四国札所最大の難路への入り口となっており、いわゆる“歩き遍路”は翌日の山越えを控えこの近所で宿をとる。元々山登りの苦手な私には、健脚で5時間、弱足では8時間も要するとの噂があるこのルートをたどる気は最初からない。先の西国巡礼で、これも難所と言われる「上醍醐」への山登りで標準の往復3時間をはるかに上回る4時間半も要し、膝痛で死ぬ目にあったトラウマもまだ癒えていない。藤井寺の境内では、私と同年配のオジサンたちが4~5人固まり「明日は絶対に山越えを果たす」と気勢をあげていたようだが、果たしてその後どうなったことやら。
とにかくこの日の参拝は終了したので、寺の山門近くの茶店で缶ビールを飲んだ。店主は八十八歳でちょうど私の父親と同い年だがまだ矍鑠(カクシャク)としておられ、山越えを避けるという私の話を憐むように聞いていた。前もって徳島市内のビジネスホテルを予約しておいたので、疲れ切った身体を引きずるようにしながらさらに3kmほど歩いてJR徳島線の鴨島駅にたどりつき、夕方5時ごろ徳島駅前の宿にチェックインした(宿泊代7,300円)。
この日も前日とほぼ同じ40,000歩強、25km近くの遍路道をさまよったため疲労が甚だしく、杖を持つ右手の甲が日焼けではれ上がり、足の火照りもなかなか治まらなかった。それでも、ホテルの近所の飲み屋で徳島産イモ焼酎「鳴門金時」のお湯割りを4杯ほど引っかけた(食事代込みでほぼ3,000円)のが効いたようで、熟睡できた。眠る間際にウツロな眼で見たテレビのニュースでは、四川省地震の死者がどんどん増えているようで痛ましい。


