阿波路
5月14日(水) 晴れやや曇り
昨日来の雨は朝方にあがったようだ。宿坊に泊まると早朝の勤行とやらに同席できるというので、興味本位ながら経本と数珠(亡くなった父方の祖母の形見で安物ながら年代物)を携え張り切って本堂に向かったが、私がそこに着いた06:00にはすでに終わっていた。どうやら時間を聞き間違えたようだ。他の宿泊客の姿も見当たらず、前の日は愛想の良かった若い坊さんが渋い顔をしていた。
朝食もそこそこに06:30に極楽寺を発足し、前日参拝を済ませた金泉寺の前を通過して四番札所の大日寺(ダイニチジ)に向かった。このあたりからJRの路線から離れバス便もなくなるので、ひたすら歩くしかない。途中、田園の中にある昔からの細い遍路道も入り混じり、なかなか趣(オモムキ)がある。田植えの最中のあぜ道をたどっているとカワズの泣く音が聞こえ、頭上ではウグイスも盛んにさえずっている。新緑が眼に心地よい。登校途中の小中学生と行き交うたびに「おはようございます」を数え切れないほど連呼したが、高校生くらいになるとこちらの挨拶を「フン」とばかりに無視するヤツもいる。それにもめげず、遍路道では通りすがりの人々に極力お辞儀や挨拶をするよう心がける。
およそ10kmのかなり長い道のりをゆっくり2時間半ほどかけて歩いて行ったが、寺に着く30分ほど前から例の問題が頭をもたげ、そのころから強くなった日差しと我慢の脂汗が入り混じる苦行となった。ようやく山門をくぐった時は参拝どころではなく、一礼もそこそこに清掃の行き届いた清潔なトイレに駆け込み、まさに安堵のため息をついた。そこから五番の地蔵寺(ジゾウジ)までは2km足らずのなだらかな下り坂で、腹の調子がすっきりしていたこともあり、ルンルンで歩いた。ここまでの歩行で金剛杖の必要性を感じていたので、シンプルではあるが般若心経を全面に書き込んだ風格のあるのを一本1,500円也で調達した。地蔵寺の裏手には等身大より大きめの五百羅漢をずらりと納めた「コ」の字型の建物があり200円也の拝観料を納めて参拝した。かつては極彩色の施されていた面影の残る羅漢さんの群像は圧巻である。境内の草取りを無心に行っていた住職の奥さんらしい品の良いお婆さんの姿が妙に目に焼きついた。
次の六番安楽寺(アンラクジ)までは6km近い昔の街道をたどった。途中でタバコを買おうと自販機の前に立ったところ、四国では九州に次いですでにタポスとやらが導入されておりカードがなければ買えないことに気付いた。仕方がないのでさらにトボトボ前進すると「カード無しでも買えます」と表示した自販機があった。説明書きを読むと、コイン投入口の上の方にあるレンズに顔を近づけ成人か否かを認識する仕組みという。早速試してみたが、3回ほど「認識できません」とのアナウンスがかなりの音量で響き渡った後、やっとジイサンであると認められたらしく、マイルドセブンを手に入れることができた。近所の奥さんが通りかかったのでお騒がせしましたと謝ったら、笑っておられた。こんな情けない思いをしてまで、嫌いな人には百害あって一利なしとけなされるタバコを買い求めるのはかなわんなと独り言をつぶやきつつ、それでも久しぶりに吸い込んだその味にはやはり捨て難いうまさがある。タバコがうまいのも健康のバロメータだ。
安楽寺には11時に到着し、それまでの寺ではいちいち50円ほど払って買っていたローソクと線香をまとめて調達した(2,000円)。また荷物が増えたわけだ。おまけに線香は頭陀袋にバラで入れるため、ポロポロ折れて始末が悪そうだ。専用の線香入れも売っていたが、これ以上荷物を増やしたくないとの思いが勝ち、しばらく様子を見ることにして結局買わなかった。
七番の十楽時(ジュウラクジ)はそこからわずか1kmしか離れておらず、何と昼飯前にたどり着いてしまった。前の晩に極楽寺から十楽寺までおよそ20kmと計算して宿坊を予約したのだが、まさか午前中でこの距離を歩けるとは思わなかった。ただ、さすがに疲れていたのでとにかくここに泊まることに決め、前日と同様荷物を預けてから、門前の食堂で名物“たらいうどん”に飯の付いた遍路定食750円也を腹に収め、さらに4kmほど離れた八番熊谷寺(クマダニジ)まで往復し、3時半ころ十楽寺の宿坊の部屋に落ち着いた。
熊谷寺には大型バス5台ほどで押し寄せた団体とかち合い、私のような個人遍路は多少優先してくれはしたが、納経に御朱印をもらう作業にかなり手間取った。団体参拝客の納経帳や掛け軸は添乗員(その後の寺でも頻繁に見かけることになったが、なぜかうら若い女性が多い)が20~30人分をまとめて風呂敷に包み納経所に持ち込んでくる。肝心の参拝客の方は先達と呼ばれる遍路引率者の先導で本堂と大師堂の前でお経を唱えるだけで、納経の手間はすべて添乗員任せである。これではあまりに機械的で遍路の醍醐味が薄いと思うのだが、多分余計な御世話だろう。足腰の弱った高齢者が八十八カ所をまわるにはこうしたやり方しかないという側面もある。団体の巡礼は坂東や西国の札所でも頻繁に見かけた。個人の巡礼がこれとかち合った際は相当の忍耐を要するが、寺の立場としてはまとまった朱印代を効率的に受け取れるのだから、個人遍路より有難いというのが本音かもしれない。どうもヒガミっぽくなり、これではいかんと反省し、そうした逆境に耐えるのも修行だと自分に言い聞かせた。
十楽時の宿坊は洋風の個室にウォッシュレット式トイレや洗面所、薄型の壁掛け液晶テレビを備え、何とカードエントリーまで採用しており、極楽寺のそれとは様変わりだ。料金は二食付きで7,700円也。またまたトイレの話で恐縮だが、ウォッシュレットで洗いすぎると善玉の雑菌まで洗い流してしまい抵抗力が落ちるとの説があるが、私の場合、すでに10年近く使い慣れているので手遅れである。それどころか、こいつがないとナニの出が悪くなるので、地方を旅する際は随分苦労する。私にとっては毎日を快適にテンポよく過ごすための必須ツールなのだ。そういえば極楽寺の宿坊にも、共用ではあるが、このツールが備えてあり助かった。
夕食のメニューはやはり精進料理だが、うどんと野菜と鶏肉の鍋がついているのが酒飲みには嬉しい。食堂にはビールやチュウハイの自販機まである。この日の歩行実績は驚くなかれ40,000歩を超え、メーターの距離は25kmに達していた。生まれてこのかた、一日にこれほど歩いた記憶がない。風呂に入り、あっさり眠りに就いた。


